大橋直久

ローリング・ストーン誌が選ぶ「歴史上最も偉大な100人のシンガー」

音楽雑誌「ローリングストーン誌」(RS誌)が選んだ「歴史上最も偉大な100人のシンガー」です。 世界の歌手の歴代ランキングになります。 2008年に選出・発表されました。 原題は「100 Greatest Singers of All Time(グレイテスト・シンガーズ・オール・タイム)」。1位はアレサ・フランクリンです。 Youtube動画付きで一覧(リスト)にまとめました。~大橋直久(MOVE)

    

(※ローリングストーン誌が選ぶ「グレイテスト」シリーズ: アーティスト→曲→アルバム→ | シンガー↓ | ギタリスト→過小評価ギタリスト→ラップ曲→

順位 アーティスト 解説
1 アレサ・フランクリン
(Aretha Franklin)

アレサ・フランクリン
1942年~2018年(76歳没)

【動画】
<リスペクト>

<ナチュラル・ウーマン>

<貴方だけを愛して>

「シンク」→


【配信】
ベスト盤(Amazon)→
「ソウルの女王」と呼ばれる。 ゴスペル色が強い。 神がかかったような歌声で聴く人の魂を揺さぶる。

1960年代後半から1970年代にかけて、「リスペクト」「貴方だけを愛して」などの名作を次々と生み出した。

アレサが歌うと、その曲がより次元の高い世界のものに昇格すると言われ、 俗っぽいポップソングも、高揚感あふれるソウルフルなナンバーに生まれ変わった。 米国のオバマ大統領は在任中「アレサが歌うとき、アメリカの歴史がふつふつとこみあげてくる」と評した。

米南部メンフィスで生まれ、北部デトロイトで育った。 父親は牧師だった。父の教会での情熱的な説教は世間で評判となり、「百万ドルの声」と讃えられた。 有名なゴスペル歌手たちが父の教会に集まるようになった。 その中の1人で天才女性シンガーとして活躍していたクララ・ウォードは、アレサにも大きな影響を与えた。 父親は娘アレサや恋人になったウォードに対して暴力をふるっていたという。

アレサは幼少期から歌唱の才能を発揮した。 12歳になると、父親の説教ツアーに同行し、全米の教会を回るようになった。さっそくレコード会社と契約し、14歳で最初のシングルを出した。(有宗良治 評判

2 レイ・チャールズ
(Ray Charles)

レイ・チャールズ
1930年~2004年(73歳没)

【動画】
<ホワッド・アイ・セイ>

<我が心のジョージア(ジョージア・オン・マイ・マインド)>


【配信】
ベスト盤(Amazon)→
ソウルの先駆者。 1940年代に生まれたリズム・アンド・ブルース(R&B)の世界に、ゴルペルを持ち込み、「ソウル」という音楽ジャンルを創出させた立役者の一人。 歌手としては、聴く人をゾクゾクさせるブルーズィーな歌声が特徴。 ゴスペル流の宗教的な歌唱に、セクシーさを兼ね合わせ、「聖と俗」を融合させるスタイル。

6歳で全盲になったが、 天才的な歌唱力と作曲力、ピアノ演奏によりプロデューを果たし、 「ホワッド・アイ・セイ」などの大ヒット曲を生んだ。

3 エルヴィス・プレスリー
(Elvis Presley)

エルヴィス・プレスリー
1935年~1977年(42歳没)

【動画】
<監獄ロック>

<ハウンド・ドッグ>

「おしゃべりはやめて(ア・リトル・レス・カンバーセーション)」(挿入歌、1968年)→


【配信】
ベスト盤(Amazon)→
20世紀の文化を代表するアイコン。「キング」と呼ばれる。 セクシーな歌声とパフォーマンスで世界を熱狂させた。 歴史上、ソロ歌手としては最もヒット曲が多いとされる。

1954年に「ハートブレイク・ホテル」で全米1位を獲得して以来、 10年にわたって毎年大ヒット曲を世に送り出した。 ビートルズが登場するまで圧倒的な人気ナンバーワンのアーティストであった。

黒人文化の中から生まれてきたロックを、 より親しみやすくポピュラーな音楽へと発展させ、 メインストリームの音楽として創生・普及させることに多大な貢献した。

4 サム・クック
(Sam Cooke)

サム・クック
1931年~1964年(33歳没)

【動画】
<ユー・センド・ミー>

<ツイストで踊りあかそう(ツイスティン・ザ・ナイト・アウェイ)>


【配信】
ベスト盤(Amazon)→
子供のころから教会のゴスペル歌手として大活躍した天才。 甘い声とルックスで全米をとりこにした。

レイ・チャールズとともに、ソウルミュージックのメジャーな創設者の一人と位置づけられている。

メジャーデビュー曲となった1957年の「ユー・センド・ミー」が、 いきなり全米ナンバー1位となる。 それ以降、1964年に33歳の若さで亡くなるまで、ヒット曲を連発した。 黒人音楽を白人など他の人種に普及させた功績も大きいとされる。

5 ジョン・レノン
(John Lennon)

1940年~1980年(40歳没)

【動画】
<イマジン>

<スターティング・オーヴァー>

「ウーマン」(公式)→

「ハッピー・クリスマス」(公式)→


【配信】
ベスト盤(Amazon)→
「ヘルプ」(Amazon)→
「ノルウェーの森」(Amazon)→
ビートルズを最強のロックバンドにした比類なき声の持ち主。 しゃがれた声でのシャウトがとりわけ魅力的。

爆発力のある声により、「ツイスト・アンド・シャウト」など歴史に残る絶唱を残した。 「ウーマン」「ヘルプ」「ノルウェーの森」などに見られる繊細で切ない声も秀逸。 悲しみから喜びまで、 「どんな感情にも寄り添う声をしている」とも言われる。

作曲家・作詞家として以上に、 歌唱力を高く評価する声も多い。

マーヴィン・ゲイ
(Marvin Gaye)

1939年~1984年(44歳没)

【動画】
<ホワッツ・ゴーイン・オン>

<悲しいうわさ>


【配信】
ベスト盤(Amazon)→
ソウル音楽で世界に広めたモータウンを代表するシンガー。 1960年代に30曲近くのヒット曲を生み出し、実力派歌手として活躍。 ソフトで甘い歌声が持ち味で、女性から高い人気を集めた。 同時に、ゴスペルの影響を受けた芯の強さも兼ね備えており、 様々な曲をこなした。

女性ソウル歌手ダミー・テレルとのデュエットでもヒットを連発。 バラードだけでなく、「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」や「エイント・ナッシング・ライク・ザ・リアル・シング」などの時代を代表する名作も送り出した。

1970年代に入ると、 ベトナム戦争から帰還した弟との再会をきっかけに、 戦争や差別といった社会テーマを訴える路線に転換。 所属レコード会社(モータウン)の反対を押し切って、 自ら作曲とプロデュースを手掛けたアルバム「ホワッツ・ゴーイン・オン」を発表し、 まさに魂をふるわせるような神がかった歌声を披露した。

さらに、次作アルバム「レッツ・ゲット・イット・オン」で、 セクシュアリティとロマンスを極限まで表現するボーカルを見せ、 評価を不動のものにした。

ボブ・ディラン
(Bob Dylan)

1941年~

【動画】
<ライク・ア・ローリング・ストーン>

<ミスター・タンブリン・マン>


【配信】
ベスト盤(Amazon)→
自分で曲を作って歌う「シンガ・ソング・ライター」の代表的な存在。 社会的なテーマを歌うフォーク歌手として1960年代の前半に一世を風靡。 1965年にエレキ音楽を取り入れ、不朽の名曲「ライク・ア・ローリング・ストーン」を世に送り出した。

強烈なメッセージで当時の若者たちの人生に大きな影響を与えた。 「ディラン・フォロワー」と呼ばれる支持者たちが世界中に生まれ、 ディランに触発されてギターを手に歌い、社会的な行動を起こした。

野良猫のような独特のかすれた声で唄う。 語るように歌うナラティブなスタイルも特徴。 まさに「歌う詩人」であり、「語り部」(ストーリー・テラー)である。

オーティス・レディング
(Otis Redding)

1941年~1967年(26歳没)

【動画】
<ドック・オブ・ベイ>


【配信】
ベスト版(Amazon)→
1962年にデビューしてから、1967年に26歳の若さで飛行事故で亡くなるまでわずか5年。 伝説的な歌声で世界中をとりこにした。

絶頂だったモータウンの洗練されたサウンドと一線を画し、 より土臭くてゴスペル的な「サザンソウル」の中心となった歌手。 アップテンポの乗りの良さ、バラードの説得力など、ぴか一。

ビートルズやストーンズなどのロックも自分の世界にして歌ってしまうソング・スタイリスト。 独自の歌の世界を作り出し、他のシンガーに多大な影響を与えた。

スティービー・ワンダー
(Stevie Wonder)

スティービー・ワンダー
1950年~

【動画】
<迷信 (Superstition)>

<心の愛>

「愛するデューク」→

「汚れた街(Living for the City)」→


【配信】
ベスト盤(Amazon)→
キー・オブ・ライフ(Amazon)→
1962年、わずか12歳で神童としてデビュー。 そのころから歌唱力が高く評価されていた。 1966年ごろからは自作曲を歌い始める。 当時のモータウンでは、 歌手と制作者が役割分担されていたが、 スティービーはその垣根をとっぱらい、 作曲だけでなくプロデュースも自ら手掛けるようになり、 1970年代に神業的な傑作を連発した。

リッチで鮮明な歌声や突き抜けるようなビブラートなどが特徴。 その歌唱は、 他の大物黒人歌手に比べてディープなソウルっぽさが薄めであり、 それがかえってロックなどの幅広いジャンルとの融合を可能にしたとも言われている。

10 ジェームス・ブラウン
(James Brown)

ジェームス・ブラウン
1933年~2006年(73歳没)

【動画】
<マンズ・マンズ・ワールド>

<セックス・マシーン>

「リヴィング・イン・アメリカ」→


【配信】
ベスト盤(Amazon)→
NYアポロ劇場のライブ→
2006年に73歳で亡くなるまで、 ソウルの神様のような存在として君臨。 ファンクの生みの親としても知られる。

1950年代にデビューしたころは、 何よりもシンガーとしての歌唱力が評価された。 ときに熱く、ときに澄み切った歌いっぷり。、 叫び声や泣き声を交えた独特の歌唱スタイルで、 聴き手の心と体を揺さぶった。

黒人系の教会での興奮をそのままステージに持ち込んだようなエネルギッシュでダイナミックなライブパフォーマンスも有名。 プリンスやマイケル・ジャクソンなど数えきれないボーカリストに影響を与えた。

11 ポール・マッカートニー
(Paul McCartney)

1942年~

【動画】
<ヘイ・ジュード>

<レット・イット・ビー>

「レディー・マドンナ」→
ビートルズのメンバー。 歴史に残るバラードやロックの名曲を作曲し、 自ら歌った。 優しい歌声で泣かせるのが得意。 「ヘイ・ジュード」「イエスタデイ」「レット・イット・ビー」などが代表的な例である。

変幻自在に声を変えることができるのが特長。 切ない声や甘い声を出すだけでなく、 ストレートなロックを歌うときは、 天井を突き抜けるような高音でシャウトする。 一方で、「レディー・マドンナ」で見せたように、男性らしい太い声でズシリと迫ることもできる。

リードボーカルだけでなく、コーラスを担当するときにも素晴らしいセンスの良さを発揮した。

12 リトル・リチャード
(Little Richard)

1932年~2020年(87歳没)

【動画】
<グッド・ゴーリー・ミス・モリー>

<ルシール>
ロックンロールの偉大な先駆者の1人。 1950年代から大活躍した。 「元祖ロック・シャウター」と呼ばれるとおり、 強烈なシャウトでロックの時代を切り拓いた。

強烈にピアノを叩きながら、 裏声まじりでスクリームするスタイル。 刹那的なエネルギーを爆発させる。 まさに唯一無二のどぎついシンガーである。

1932年、米国ジョージア州生まれ。 敬虔なクリスチャンの家庭に生まれ、 10代から歌い始める。 ゴスペル仕込みの唱法と、 奔放な表現力で台頭する。

「ゲイの黒人」という不利な立場でありながら、 奔放な個性をいかんなく発揮。 代表曲「トゥッティ・フルッティ」では、 冒頭から「ワッパーパルッパ」と叫び、 度肝を抜いた。

13 ロイ・オービソン
(Roy Orbison)

1936年~1988年(52歳没)

【動画】
<オー・プリティ・ウーマン>

<You Got It>

「オンリー・ザ・ロンリー」→

「ブルー・エンジェル」→
米国テキサス出身。プレスリーらと共に1950年代後半のロカビリー・ブームの先頭に立った。 「オー・プリティ・ウーマン」「オンリー・ザ・ロンリー」「ブルー・エンジェル」などをヒットさせた。

その後、ロカビリーはビートルズに始まる「ブリティッシュ・インベージョン」の大波に飲み込まれたが、ロイは逆にイギリスでの人気が高まった。 「イギリスで最も数多くのヒットを生んだアメリカ人歌手」とも言われた。

アメリカの現代音楽に与えた影響は大きい。 「オー・プリティ・ウーマン」は、ヴァン・ヘイレンがカバー。 リンダ・ロンシュタットは「ブルー・バイユー」をカバー。ブルース・スプリングスティーンはヒット曲「サンダー・ロード」に彼を歌いこんだ。 「オー・プリティ・ウーマン」は映画「プリティ・ウーマン」の主題歌でも親しまれた。

黒い髪と黒ぶちの眼鏡、黒ずくめの衣装がトレードマーク。 3オクターブの声が出せるという伝説もあった。 音楽評論家・天辰保文氏は「誰もがうらやむベルベット・ボイスで親しまれた。 若い頃から、人生の陰りというか、寂しさや切なさを歌わせたら、右に出る人はいなかった」と評している。

1988年12月に52歳で亡くなった。 心臓病だった。 亡くなる年に、ボブ・ディラン、ジェフ・リン、トム・ペティ、ジョージ・ハリソンと共にロックバンド「トラベリン・ウィルベリーズ」を結成。 再び歴史的な名盤をリリースしていた。

参照:RS誌のサイト(英語)→